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水戸地方裁判所 昭和44年(レ)18号 判決

控訴人

菊池舛吉

代理人

武藤章造

被控訴人

高塚勝治

代理人

若林弥太郎

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、控訴人

1、原判決を取消す。

2、被控訴人は控訴人に対し茨城県常陸太田市内堀町二、三五九番地所在家屋番号内堀町一〇番木造瓦葺二階建店舗兼住家一棟床面積一階34.71平方メートル(10坪5合)二階20.66平方メートル(6坪2合5勺)を明渡せ。

3訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二、被控訴人

主文同旨。

第二、当事者双方の主張〈省略〉

第三、証拠〈省略〉

理由

一、本件家屋が、もと訴外志賀つえ子の所有であり、昭和一〇年ごろ被控訴人先代高塚長次郎との間で本件家屋について期間の定めない賃貸借契約を締結し、右長次郎にそれを引渡したこと、昭和三五年ごろ右長次郎の死亡により被控訴人が右賃借人の地位を相続により承継し本件家屋に居住するにいたつたこと、控訴人が昭和四二年一一月二〇日本件家屋を買受け、その賃貸人の地位を承継したものであること及び控訴人が昭和四二年一二月二四日被控訴人に対し、控訴人主張の如く内容証明郵便をもつて本件家屋の賃貸借契約を解約する旨の意思表示をしたことはいずれも当事者間に争いがなく、本件弁論の全趣旨によれば右郵便がそのころ被控訴人に到達したことが認められ、それを左右するに足る証拠はない。

そこで、右解約の申入れが適法かどうかについて判断する。〈証拠によると次のような各事実が認められる〉。

(1)  まず控訴人側における事情としては、控訴人は肩書住居地においてその先代の時代から提燈製造業を営んできたが、約一〇年前長男隆男が薬剤師の免許を取得してから薬局をも開業するにいたり、現在控訴人らの居住している住居兼店舗二階建のうち一階部分には六畳二間と一畳半の部屋があり、控訴人夫婦と三男及び従業員一人が住み、二階部分の八畳と三畳の部屋には長男夫婦と子供二人が住んでおり、薬局の商品や家財道具、荷物等が一、二階共三分の一を占め、又約33.05平方メートル(10坪)の店舗は商品で一杯であり、前記の家族従業員ら約一〇人が右家屋で生活するにはせまくて不便を痛感している。その宅地は控訴人の所有ではあるがほとんど空地がなく、又地形の関係上ここに増改築をすることは困難である。そのため控訴人らは長男夫婦と別居して近所に提燈製造業用の店舗を持ちたいと考え適当な家屋を探していたところ、昭和四二年一一月二〇日現住家屋に近いところに本件家屋を見出し、これを所有者志賀つえ子から金五五万円で買受けるにいたつた。そのさい家屋には被控訴人が現に居住しているためその移転料を支払うことや本件家屋が老朽していること等を考慮して時価よりも幾分安い価格で買受けた。この買受にさいしても本件家屋には昭和一〇年ごろから被控訴人先代長次郎が志賀つえ子からこれを賃借して居住し、仕立職を営み、右長次郎の死亡後はそれにかわつて被控訴人一家が本件家屋を賃借してこれに居住していることを熟知しながらも、事前に被控訴人と直接あるいは前所有者志賀つえ子を通じる等して被控訴人に本件家屋明渡の意思があるかどうかをたしかめるというようなこともなく、直ちに本件家屋を買受け、その旨の所有権移転登記手続を了した帰途に被控訴人方へ立ち寄り、本件家屋を買受けたから明渡してもらいたい旨申し入れ、その後現在にいたるまで被控訴人に対し適当な移転先を斡旋提供するなど本件家屋明渡後における被控訴人の住居の安定の保障について特別の配慮はなんら払つていない。もつとも本件家屋明渡の調停申立をしたさい、控訴人は移転料として金三〇万円位を提供することで話し合いを進めたが被控訴人においてこれを拒絶し、右調停は不調に終つた。

(2)  次に被控訴人の立場についてみると、被控訴人先代長次郎は昭和一〇年ごろから本件家屋において仕立業を営み、その後被控訴人も二五才ごろから共に洋服ならびに仕立業を営んで来たものであるが、特段の資産もなく、永年本件家屋で営業をしていたため顧客や蓄積された信用も形成されており、右営業により一家の生計を立てている。被控訴人は控訴人が本件家屋を買受けるとの噂を聞いた際、人を介して当時の所有者志賀つえ子に対し本件家屋を買受けたい旨申入れて売買の交渉をしたが、直ちに売買代金の全額を支払う資力がなかつたうえ所有者が被控訴人に対し感情的に売渡すことを好まず控訴人に売渡してしまつた。被控訴人の家族は現在、被控訴人夫婦のほか子供二人で本件家屋の一階は間口4.24メートル(2間2尺)奥行3.63メートル(2間)の店舗とその奥に六畳間があり、二階は一〇畳の部屋となつているが、営業の性質上適当な移転先が見付からないし、もしあつたとしても、移転により相当の減収その他財産上の損害をこうむるおそれがあつて本件家屋を明渡して他に移転することは相当に困難である。

二、ところで一般に他人が現に適法に賃借居住中の建物を自ら使用に供する目的で買受け、それを理由として明渡を求める者は、従前は当該賃貸借契約の局外者であつた自己の有する事由に基ずき、自己の利益のため買受け賃貸借関係を解消しようとするものであつてこれによつて賃借人は賃貸人の変動さえなければ害されることのなかつた住居の安全や利益を害される結果となることは明白であるから、かかる場合の解約申入につき正当事由の有無を判断するに当つては、従前の賃貸人にあらたに自己使用の必要等が生じて継続的な法律関係の基礎に事情変更があつた場合以上に厳格に解する必要があり、賃借人側の居住の安全とその利益を考慮しつつ賃貸人となつた者の側の自己使用の必要の緊急度、何故に当該家屋でなければならなかつたか、明渡についてなんらか相当の配慮をしているか等諸般の事情をあわせ考え、双方の利害得失を実質的に比較衡量したうえ、社会通念に照らし真にやむを得ないと認めるべき理由ある場合に限つて正当事由あるものというべきところ、これを本件について考えるに、控訴人は家族が多く且つ商品の置場がせまいなどの理由からその打開策として控訴人夫婦が長男夫婦らと別居しようとして適当な家屋を探し求めた結果本件家屋を買受けたのであり本件家屋に対する必要性は一応認めることができるが、それにもかかわらず本件家屋を択んだというのは単に現在家屋の近所であるというに過ぎず、これでなければならないという必要性はないのみでなく、もともと長男が薬局を開業するときに別途の工夫をすべきであつたのであり、一方被控訴人は永年にわたり本件家屋に居住し、営業を続け、その信用を築きあげて来たのであつて本件家屋に対する必要度は決して控訴人のそれに劣るものではない。

そしてまた控訴人としては不便に耐えながらも、とにもかくにも今日まで現在家屋のみで生活し営業をして来たのであり、又控訴人が本件家屋を買受けるに際しては被控訴人がそれに賃借居住中であることを知りながら被控訴人に対し家屋明渡の意思があるか否かを全然確めないのみらず、その後現在にいたるまでその住居の安定の保障について一顧をも与えたこともなく、被控訴人が本件家屋を明け渡すについては移転料として金三〇万円位を提供する旨の申入れをなしたことはあるものの、右金員では現在居住中の本件家屋に見合うだけの家屋の入手は困難であるばかりか、他に移転することによりこうむるべき財産上の損害及び精神的な苦痛を十分に補填することができるものとは考えられず、結局被控訴人が本件家屋を明渡すことによつてこうむる不利益は、控訴人が明渡を受けられないことによる不利益よりも大というべきであるから、控訴人が本件賃貸借を解約するにつき正当の事由があるものとはいいえないものといわざるをえない。従つて、控訴人のした前記解約の申入れは適法有効とは認めがたく、右解約の有効を前提とする控訴人の主張は採用しえない。

三、よつて、控訴人の本訴請求は理由がないからこれを棄却すべく、これと同旨の原判決は相当であるので、民事訴訟法第三八四条第一項により本件控訴を棄却すべく、訴訟費用の負担につき同法第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。(浅沼武 星野雅紀 古口満)

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